ほうかご百物語 刊行開始15周年によせて

当初はTwitterで書く予定だったんですけど、他の手段を持っている奴が現状のTwitterで書いても歓迎されなさそうだなあと考えたため急遽ここで書く形にしました。今の向こう記録が残るか怪しくなってくるレベルなので……。
おかしい……デッカー最終回の週を越えればここの更新はしばらく減る予定だったはず……(予定にないことばっかり起きてるから……)

というわけで。本日2/10がなんの日かというと。

ほうかご百物語第1巻発売、および峰守ひろかず先生デビューから15周年記念日というわけで、お祝いというか思い出というか、その辺を書いていこうという記事です。
……電撃の公式ページの書影が所々抜けてるのめちゃくちゃ気になるのでこれを機に修正かけていただけないでしょうかKADOKAWAの関係者の方々……(電書出てるんだからデータ紛失なんてことはないでしょうし)

管理人がほうかご好きなのは各所、このブログだとDYNAZENON感想とかで折に触れて書いてるんですがここで独立記事として書くのは初めてかもしれないんですよね。なんでDYNAZENON感想で書いてるんだよ、というごもっともなツッコミは置いとく。10話感想とかを読んでいただくと大体理由はわかると思うし(改めて読み返したらとんでもないスピード感で言及していて腰を抜かしました。自分でやっておきながら振り落とされるかと思った)
他所の活動だと1番わかりやすいのはこれかもしれません。こちらのまとめの場合全体を構成できているのは私以外の皆様のおかげですが。ウルトラマンZ応援配信エピソード選定担当の方も含め。

作家としての峰守ひろかず先生を評するにあたって、おそらく今となっては絶対城シリーズが代表作、他にも妖怪大戦争の前日譚小説だったり鬼太郎の公式ノベライズだったりを担当されていることの方がわかりやすいかもしれませんが(そして実際これらの作品は現代妖怪小説圏における先生の立ち位置をよく表しているんですが)デビュー作であり管理人のフェイバリットライトノベルとしてのほうかご、せっかく15周年なので軽くですが何がそこまで刺さったのかの話をしておこうかと思います。

1にキャラ造形、そして配置の良さ。
ざっくり言ってしまえば、ほうかご百物語というシリーズはある妖怪の少女と、彼女に惚れ込んだ人間の少年が添い遂げるまで、の物語です。いやまあ添い遂げてからの物語でもあるんですけど、それがどういうことかは読んでみてほしい。
このシリーズで面白いのが、ヒロインであり妖怪の少女であるイタチさんの方はごく序盤以降はごくごく至極真っ当なお嬢さんであるのに対して、主人公であり人間の少年である白塚真一がお前本当に純正の人間なんだよな?と疑問に思うこと数知れないという転倒。そしてその転倒を内包しながらも人間である白塚真一という少年が妖怪の少女であるイタチさんを見続けていること、『描く』という行為を軸としてそばに居続けるという構造そのものの中で、一組の少年少女というミニマルな関係性と、人と妖怪というマクロな関わり方の重ね合わせが起きている、というのがとても魅力的な小説なんですね。
そして作中、この作品を代表する第三のキーキャラである妖怪博士・経島先輩が言うとおり「その線引きをそんなに絶対視する必要があるかね」という視点が常にあり続けるのがその後の峰守作品にも通底している論理でもありります。先生がコスモス好きなことって後から聞いたわけですけど、言われてみると納得しかできない視点でもある。
月並みな表現になりますが、他のキャラ陣も主人公カップルに匹敵する、王道性と珍しい要素のバランスが見事で愛せる人々(あえてこう表現する)ばかりなので、もしまかり間違って未読でこの文を読まれている方は是非読んでいただきたい。あとメインキャラ中心のいわゆるハーレムものより作中でバカスカいろんなカップルが成立するタイプの作品が好きな人には超推したい(バカスカ!?)
主人公カップルがめちゃめちゃ好きなのは前提として、管理人の一押しは終盤の妖怪総進撃巻をかっさらっていったあのカップルとか狼少年と猫先輩の組み合わせになります。奇異な言い方かもしれないけど男女を問わずまあ可愛いんだなこれが。

余談。これはほぼ個人的な印象の話なんですけど、ウルトラマンデッカーを見ている時の「敵も味方も欠点や足りない部分を抱えながら、それを含めた1人の人物としての魅力を(一部のどうしようもない奴らは除いて)確固として持っており、そんな彼らを描いた物語だから好きなのだ」という感覚は、ほうかごと通じるものがあったのかも……と、これを書いてるうちに急に気づいたりもしました。そういやマザースフィアの言ってたことってほとんど『神』と一緒だったもんな……(先生にノベライズやってもらえんかなあみたいな欲求が急に生えてきた)

余談その2。3年ほど前、魔進戦隊キラメイジャーの記念すべき第1話で熱田充瑠が戦う4人のキラメイジャーを見ながらスケッチブックに描き続けるという普通だったら前代未聞のシーンを見た瞬間、「白塚真一かこいつは!?」と思った視聴者が少なからずいたそうです。いやホントに。

さて1で長くなってしまいましたが、その2。妖怪への解像度。
管理人は元々……というか今でも妖怪は全然詳しくないんですが(15年峰守作品追いかけてきて!?と言われそうです。返す言葉もない) 全然詳しくなくセオリーも理解できていないからこそ、2008年当時に妖怪モノの小説、と聞いてあの内容を想像できた人っていないんじゃないかと思います。今でも難しいんじゃないかとも。
ヒロインの選定がイタチ、というのも相当すごいことだと思うんですが、1巻からして登場メンツが飛ばしに飛ばしていて素人だともはやすごいことはわかるがなぜすごいのかがわからないというレベル。これは他の方の受け売りになってしまうんですが、九尾の狐が出ていてなお最後にあれがああ出てくるとは思わないですって。しかも主人公の性質をガチガチに発揮した解決方法につながるっていう見事さ。
その驚きがその後のシリーズでも継続して10巻分みっちり詰め込まれていまして。この15年で原典となるべき妖怪に関わる研究の方も進んだ分、今だと理解が古い部分がある……という内容のことを先生ご自身が言われていたりもしますが、それでも今読んでなお見事な配置だと感じる部分です。

ちなみに妖怪詳しくないのになんで手を出したのかというと答えは単純、電撃大賞受賞作、かつ当時管理人の生活圏の図書館は電撃文庫に限らず主要ライトノベルをほぼ全部入れるタイプの館だったためです。私が現在ズブズブになっているほとんどの事象はあの図書館の蔵書の無節操さ故だったと思うぜ(読書家ってわけでもないのにね……)

さて今回の締めとしての3つめ、これが地味にあまり触れられることが少ない……というより、管理人個人の体験が大きそうな気がするんですけども。
2000年台中盤から後半って、パロディ・オマージュ的な要素の大きな作品がえらい増えた時期だった記憶があるんです。それは単に自分がネタを理解できるようになったからという側面が大きいのかも知れませんが、パロディ的なネタを全面的に出してくる作品から、全面的に出しているわけではないけど思わぬところで他作の要素を引っ張ってくるものまで、妙に多かった/あるいは多くなった時期だったという、少なくとも記憶の中ではそういう時代だった。ここではその正確性は問わないでいただけると助かります。
そんな中で、ほうかごの(というか主に経島先輩なんですけども)その手の要素の使い方が、なんというか、『ちょうどよかった』という印象が強くあって。知らないと意味が通らないほどではないけど、ああそこから引っ張ってくるんだ、という印象のおかげで理解が早くなる、という絶妙なバランスに調整されていたんですね。
Twitterで諸々拝見した後だとなかなかもう遠い記憶なんですけど、序盤の頃はそもそも峰守先生が特撮好きなのかどうか断じきれなかった、ということは覚えておきたい部分です。まあ流石に「再生怪人がなんで弱いか」の理屈を作中で用意してきた頃には「いや流石にこれは好きな方が書いてるな……」と思ってましたけども!!

あとそう 峰守先生とこの手のネタの話っていうと 今はなき電撃文庫magazineにおける紅玉いづき先生との対談連載「べにたま・みねもりのぐっとくる話」のいつだったかの回に どう見てもBeat On Dream Onの歌詞だろこれって一節があったのをやたらめったら覚えているんですけど 逆に言うとその一節だけが強烈に残った結果その回がなんだったかを忘れてしまってまして。
答えはわからないにしてもなんか探せないかなと思っていたら なんか今ネットをどう遡っても記事内容はおろかそもそもこの連載があったという確定事項すらすぐには確認できない状態になってるんですが これどういうことなんでしょうか 2大先生が作家業15周年なのでまとめてなんらかの形で出してもらえませんかとずっと思っているんですが!!
あとこの世で紅玉先生だけが持ってるっていう奈良山の私服設定を……どうしてほしいのか自分でもよくわかりませんが、なんかどうにかなりませんか!?(なぜかこの世で作者ご自身すら持ってないのに紅玉先生だけが持っているということが異様に有名なアレ)

(ちょっと気持ちを落ち着かせる間)

正直ほうかご、そして峰守作品に関して、ここまで書いてきたこの3要素を語ることはベタいというか、多分このシリーズを書くにあたって同じことを先行して言われてる人はいくらでもいそうな話なのですが、自分の言葉で、自分の感性で腰を据えて書いたことってなかったよな、と思い。
ほうかご刊行15周年ということは自動的に峰守先生作家デビュー15周年でもあるわけで、他作について……というか主に帝都FCと神代解析センターとS20の続刊の芽って今から何すれば伸ばせるんでしょうかという話をしたかったりするんですが、今回はこの辺りでと考えています。
くらがり堂についてはちょっと……なんか……別件で用意するかもしれないし……(未定です)(強調しておきますが未定です)

ここまで書いてきておいてなんですが、実を言うと私ほうかごって2巻からこれはどうも本格的にあまり他に見ない作品だぞ?と思うようになった読者だったんですけども(具体的には2巻第1話後半の白塚がまーとてもいいんだ)
刊行開始から15年経った現在、峰守先生が妖怪にまつわるレジェンド作品であるゲゲゲの鬼太郎ノベライズを手掛けられると聞いた時、すごいニュースだとは思いつつ意外だとは思わなかったのは、妖怪に対してここまでの熱意を持ち、それを詳しくない読者に認識させるだけのことを、既に1冊目、ほうかごの第1巻からやってのけていたからなんじゃないかな、と考えます。

1作目であるほうかごから、奇矯なようでいて(実際否定できないことが多い)根の性質が素朴に善きものたちの話、というのが峰守作品に通底する精神であり、15年という時間経過の中で、その時々に合わせた形に変わりながらもその魅力を貫徹されているのがありがたいですし、すごいなと感じる部分です。最新の完結作であるくらがり堂シリーズでのクライマックス、最後に相対する/しなければならない相手がああいった存在であり、それに対してどう対処するのか、という辺りに、経島先輩がいつかに言った『退治じゃなくて対処と言う意味』に通じる感覚を覚え、変わるものと変わらないもの、というくらがり堂のサブテーマを、おそらく意図された部分とはまた違うところで感じることができたのではとも思っています。
ちなみになぜ「最新の完結作」なんて迂遠な表現なのかというと、最新作であるばけもの奇譚はなんか続きそうな気がするため……。いやくらがり堂も5巻以降出していただきたいと思っているところなんですが!!ほうかごとか絶対城と同巻数ぐらい!!

さて、奇しくも1週間と経たない来週初め、鬼太郎ノベライズの続刊である3巻が発売。収録話はアニメ本編時点でも特に印象深い回揃いで、これらのエピソードをどう再話されるのかをとても楽しみにしています。あとアニエス編がどうなるのかということに実はものすごく期待をかけているので、今後の予定も気になりますね……(アニエス編に入った場合ほぼ間違いなく白山坊の話も来ますし)

それでは今回はこの辺で。
改めまして峰守先生、作家業15周年、おめでとうございます!

(追記)

ち ょ っ と 待 っ て ほ し い

というわけで、まさかまさかの今日2/10,ここまで書いた記念すべき日に、グリッドマンシリーズ最新作にして初劇場公開用完全新作「グリッドマン ユニバース」の本予告が前触れなく解禁。
待ちに待ったガウm……ではなく聞いたこともない謎の新キャラ・レックス(CV.濱野大輝さん)の登場情報も解禁、予告映像1カット1カットがとんでもないものばかりなのですが、それらに関しては一通り別所で触れたので、ただこの予告の印象をここに書きたいから、という意味での追記ではないです。この記事にわざわざ追記として書く理由があるんですよ。

何かといえばご想像の通り、裕太のあの台詞。

聞いた瞬間「くらがり堂の4巻じゃねえか!!!!!!」と叫んでしまったあの台詞です。

これは当然ながら俗に被った被られたの話をしたいのではなくて。
折々に触れて(これ自分が書いていいのかなあ……という思いを少し抱えながら)書いているんですが、去年4巻にて一旦の完結を見た峰守作品である「金沢古妖具屋くらがり堂」シリーズは、その立ち上げの途中からある程度明確に、先生ご自身もファンであるSSSS.GRIDMANを一つの着想元として志向した作品だったそうです。
(一旦の、と書いたのは続刊の可能性はなくはないそうであるため。めちゃめちゃ出て欲しいです
なぜそんなことを一介の読者が知っているのかというと若干話がややこしくなるのでここでは割愛しますが……ふせったーを掘っていただくと一応残っているはず……。
閑話休題。そういった理由で同じものを志向したためか、その3巻では「少女の抱えた悲しみではない鬱屈を聞いているうちに泣いてしまう少年」というシチュエーションがなんとDYNAZENON完結直後、出版スケジュールを考えると7話を見てからでは絶対に間に合わないタイミング(実際DYNAZENONの放送前に本文の構成はおおよそ終わっていた、という話)で世に出て腰を抜かしたりしたのですが、今度は着想元であったSSSS.シリーズの最新作であるGUにて、くらがり堂の主人公である汀一が言っていたことと、裕太の言い出す言葉がほとんど完全に一致している……という巡り合わせの妙に耳を疑いました。今でも若干疑っている。
なんというか、さらに他作を引っ張ってくる形になってしまいますが、エヴァを志向していると雨宮監督自身公言されていたSSSS.GRIDMANが、そのエヴァの完結編であるシンエヴァの出した答えを知らず知らずに先行して出していた、というような、信じがたい偶然の符合を感じます。

少年少女の淡い感情の話をしている物語なら、ベタであり定番な展開の一つ、といえばその通りとはいえ。解禁された日が日、ここまで書いてきた通り15周年記念日を狙ったようなタイミングだったので、ここに書くしかねえ!!今書くしかねえんだ!!という勢いでやってる部分は正直あります。
(さらに言うとここから劇場版デッカーまで予定通りであれば更新がないのでGU予告編に触れるタイミングがない、的な自分の都合もあったり……)

そんでもって、汀一の告白の結果がどうなったのか、といえば……なわけですから。裕太のその結果は、どんな過程を辿るとしても、多分……だよな、なんてことを考えられるものであるのが嬉しい部分でもあり。

というわけで、本文自体はおおよそ前日までに書いていたら当日まさかの爆弾が炸裂するというとんでもない展開になったわけですが、峰守先生デビュー15周年を祝うにあたってここまで見事なものもないのではないでしょうか。公開楽しみですね!それでは今度こそ、この記事はこの辺りで締めくくらせていただきます!